シンプル都心ライフ

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人が価値があると判断したものに価値があるという話

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お金は多くの人が「価値がある」と判断しているからこそ、価値があるという話があります

 

確かにアジアの国に旅行しに行って、少しだけ余ったお札をみても、なんだかふにゃふやしてるし、汚れてるから価値がないんじゃないかって思ったりします

 

そして、日本ではアジアのお札は当然使えません

 

しかし、またアジアの国に旅行にいけば、「紙幣は価値がある」と判断されて、食べ物を変えたり、タクシーに乗ることができます

 

いくらアジアの日本円の1万円札を出しても、何も買うことも、サービスも受けられません

 

お金に限らず、皆が価値があると思っているものが、価値があるという話をふと思い出したのでまとめてみました

 

 

 

 

 

人が価値があると判断したものに価値があるという話

美術館に行くたびに「俺でも書けそう」と思うけど、絶対に書けない話

筆者は美術館が好きで、六本木の新美術館から、パリのルーブルまで足を運ぶのが好きです

 

しかし、美術品に興味を持ったことは、実は一度もないんです

 

好きなアーティストもいなければ、好きな作品もこだわりすらもありません

 

ただ、思い立ったときにフラっと美術館に立ち寄るのが好きなんです

 

美術館の洗礼された空気が好きなんですね

 

さて、美術館でよく思うことがあります

 

精巧に作られた絵画や作品は、その道のプロが作られたんだなと理解できますが

 

現代美術などの中には、白紙にただ線が書いてあるだけであったり、青い絵の具で塗っただけだったり、どうも「俺でも作れるんじゃないか」と思うものが多いのです

 

これはおそらく多くの方が人生で一度は考えたことでしょう

 

そこで、すごく大きな疑問が頭に湧いてきます

 

「俺でも作れそうな作品が、なぜ美術館に展示されているのだろうか」

 

人が価値があると判断したものこそが価値がある

結論からいえば、美術館に飾られている作品は、どれも世界的に価値があるものばかりです

 

特に特別展で飾られるようなものは、それこそ美術館側が力を入れてこの商品を紹介したいと思っているからこそ、テーマに沿った偉大な作品が紛れていると思うんです

 

そこで大きなギャップを経験します

 

「俺でも書けそうなシンプルな絵が、なぜ評価されて展示されているのだろうか」ということについてです

 

絵を描いた時代背景なのか

 

その絵を描くに至ったストーリの偉大さなのか

 

アーティスト自身が偉大で、その中の一作品だから評価されているのか

 

何れにしても、多くの人に価値があると判断されているからこそ、美術館に展示されているのです

 

筆者はその価値がなかなかわからないので、目の前にある絵画が値段がつけられないほど高価であるという現実を受け入れられません

 

しかし、「とにかく多くの人に評価された過去があるんだな」ということだけはわかります

 

そして、「美術館に飾られるくらいなんだから、きっと価値があるんだろう」と思い込むのです

 

再生されている動画と、センスがあるのに再生されない動画

売れている曲の中には、本当に誰もが一度は聞いたことがあるような名曲から、ランキング1位だけど初めて聞いた曲まで様々でしょう

 

一方でYoutubeでセンスの良い楽曲を発見したけど、どうも再生回数が少ない動画があったとします

 

その一方で、あまり内容はよくわからないけど、再生回数が日に日にどんどん増えている動画がアップロードされているのを発見します

 

「なんだかよくわからないけど、人気な動画なんだろうな」と思って、とりあえず動画を見てみます

 

すると面白いか、面白くないかに関わらず、1再生としてカウントされます

 

結局は、再生回数が多い動画が面白いと判断されがちになるのです

 

 

 

自分の価値と他人の価値は異なる

さて、結論ないまま文章を書きましたが、自分の価値と他人の価値は異なることがほとんどということです

 

もし、多くの人が賞賛するような作品が美術館に展示されているなら、連日大行列になるくらい人が押し寄せるはずです

 

そうでなくとも、ごく少数の人には、死ぬまでに一度は見てみたかったくらい、本当に価値のある絵なのかもしれません

 

だからこそ、美術館に展示された絵には、価値があるのです

 

しかし、ほとんどの人にとっては、美術館を退屈に感じるはずで、部屋にこもってYouTubeやAmazon Primeを見る方が楽しかったりします

 

しかし、YouTubeもAmazon Primeも、あまりにもコンテンツが放題すぎて、人によってみているコンテンツがバラバラだったりします

 

それは、自分の価値と他人の価値が大きく異なるからです

 

それでも、一つ一つのコンテンツが存在するのは、誰かにとって価値があるコンテンツだからです

 

出世に価値があると考える人と、ワークライフバランスを考える人

仕事をしていても多種多様な価値観を持った人が仕事をしています

 

会社での出世が命の人は、休日もゴルフに行くでしょうし、仕事も残業を厭わずガンガンやるでしょうし、

 

ワークライフバランスを考える人は、徹底して無駄な仕事を省いて、自分の課せられた仕事以上の仕事は絶対にしないでしょう

 

どちらが優れているわけではなく、価値観は人によって異なるということです

 

いずれの生活をしたとしても、仕事をすることに変わりはありません

 

会社で働く人は、仕事をすることに価値を置いているのです

 

もしくは、仕事で得られる「お金」に価値を置いているのです

 

まとめ。人が価値のあると判断したものが価値がある。自分の価値があると思うものを好きになってくれる人を探しましょう

今回は価値観は人によって異なるという話をまとめてみました

 

お金も「日本円」だから日本では価値があるのですが、海外では換金所でしか価値が発揮できません

 

美術品も誰かにとって価値があるものであっても、自分に価値があるかどうかはわかりません

 

仕事をしていても、出世をしたい人が集まっているバリバリ系の企業、もしくはワークライフバランスを望む人が集まっている企業どちらにしても、自分の働き方にあっているかはわかりません

 

結局は、自分の価値観に近いものに触れる時間を増やしていくことが、最も快適な生活ができるはずです

 

他人が価値があると判断したものを、自分も好きであれば問題はありません

 

他人が価値があると判断したものでも、自分にとって価値を感じないなら、無理に取り入れる必要はないのです

 

あなたが好きなものがあったとしても、それは他人が好きなものなのか、あなた自身が本当に好きなのか、一度立ち止まって考えてみると、本当に好きなことが見つかるかもしれません