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教養ではお金は稼げない?藤原正彦「国家と教養」が面白かった

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タクミです。

 

千代田区番町図書館というなんとも歴史がありそうな図書館を通りかかったところ、新潮文書の本がたくさんあり、本書「藤原正彦「国家と教養」」を手にとってみました。

 

私はハードカバーの本ばかり読んでいたのですが、「教養はどのように身につけるのだろう」ということが気になり本書を手にとってみました。

 

本書には、日本やアメリカ、ヨーロッパの歴史が分かりやすく説明されていて、サクッと読めるのですが、その中でも印象に残ったのが「お金を稼ぐために文化を捨てる」という考え方です。

 

どういう意味なのか解説していきます。

 

教養ではお金は稼げない?藤原正彦「国家と教養」が面白かった

教養ではお金は稼げない

ヨーロッパの歴史では、古代ギリシャの哲学をはじめ、「教養」を身につけることを美徳としていたようです。

 

主に「哲学」「天文学」「物理学」「数学」などですね。教養のある人が権力を持っていた時代がありました。

 

一方で、近代になり産業革命が起こると、教養を持たなくてもお金を稼ぐことができる「商人」が幅を利かせるようになりました。

 

ヨーロッパ思考の教養がある人は「お金を稼ぐのは教養がない人間のすること」というように見下していたようですが、教養ではお金になりませんし、食料や科学技術、医療など、人命に関わるものにはお金が必要です。

 

アメリカ派の合理的な考えの人は「教養を身に付けてもお金にならない」という理由で、教養を放棄してお金稼ぎに邁進します。

 

現在では、資本主義の国が多いので、どこの国に行ってもお金を稼ぐことの方が多数派になりました。その分、教養がないがしろにされてしまったということです。

 

教養を身につけるのも結局は「お金稼ぎ」したいから

ここからは私タクミの考えになります。

 

本当の意味で、アカデミックな教養を身に付けたい、学びたいという人は少数派ではないでしょうか。

 

東大には教養学部があり1〜2年生の間は教養を身につけて、3年生から希望の学部に入学します。

 

私は大学院から東大に入学したので、この仕組みを知りませんでした。研究室の後輩が、理科一類(物理・工学など)に入試で入ったものの、留年を経験して3年目からは少し授業がゆるい農学部に進学した、という話が印象に残っています。

 

東大の農学部には弥生キャンパスの2号館裏に野球場があります。

 

野球やアメフトなどスポーツをやっている人がたくさんいました。5大商社のOB訪問をしたとき、農学部出身の人が多かった印象ですが、東大の中では「教養よりもお金(スポーツ+筋肉)の人が多いのかもしれません。

 

本屋に行くと「なぜエリートは美意識を〜」「お金持ちはアートを〜」のような本が書いてありますが、要は「お金稼ぎに成功した人は、教養も身に付けている」という趣旨の本がたくさんあります。

 

教養がある人がお金持ちになったわけではなく、お金を稼ぐことに成功した人が、権威のある人とのコミュニケーションの中で教養を求められたので、教養を身につける必要がある、と実感したわけですが、結局はお金稼ぎのために教養を道具として利用しているわけです。

 

研究をするにもお金がかかる

東大に入るきっかけも「将来が安泰そうだから」という理由の東大生はたくさんいました。むしろ「世界を変える」という野望を持った人はごくごく少数派でした。

 

研究費の割合も、農学部は理系の中で最も低かったのを覚えています。医学部が群を抜いてトップで、次点で工学部、理学部、最後に農学部のようです。

 

私の体験談ですが、私の担当の准教授は、研究費がないからか実験中に割れてしまったガラスのピペットをガスバーナーで溶かして自力で直そうとしたり、コンセントのアダプターを自作しようとしたりしていて「東大なのにお金がないのか」と驚いたことがあります。

 

研究を続けるためには、お金が必要です。東大に残ってもポスドク→助教→准教授→教授と出世できるかは運も必要ですし、民間企業に移った方が給与は明らかに高いです。

 

それでも研究者から民間の超大手企業に移った人のことを「あの人は都落ちした(民間に落ちた)」というような評価を受けていました。

 

研究者はアーティスト(芸術・音楽)と同じなのかもしれません。生きていくだけのお金が稼げるなら好きなことをしていたい、という人の集まりなのです。

 

教養を極めようとすると、お金を稼ぐことを犠牲にする必要があります。

 

両立できる人は本当にごく一部なのだと、東大の研究室で実感しました。

 

「教養=好きなこと」である

教養というと、広範囲の学問に精通することを指しますが、一般的には「教養=好きなこと」にとらえると分かりやすいです。

 

学校の授業の中で「どれが一番好きな科目ですか」と聞かれた人はたくさんいると思います。

 

しかしたったの数科目の中に、自分が好きな勉強が含まれているとは限りません。

 

私タクミは高校で学んだ「倫理」が面白いと感じました。

 

社会人になってからは「行動心理学」の本が好きになりました。倫理は「人間はどう生きるべきか」という考えですが、行動心理学は「人間がどのような判断で行動を起こすのか」という視点で述べられています。

 

どちらも中学校の科目では取り扱いがありませんでした。そこで、書店で関連する分野の本を読みはじめたところ、「哲学」も面白いと感じました。

 

私にとって「教養=好きなこと」という意味では「倫理」「哲学」「行動心理学」などです。これを極めたところでお金を稼ぐことはできませんから、全く異なる「情報システム」の業界で、会社員として時間を使った対価でお金を稼ぎ、そのお金と余った時間を書物に充てています。

 

好きなことをやるには、先にお金を稼ぐ必要があります。戦争が起きて衣食住に困ったとしたら、教養は残念ながら飢えをしのぐためには役立ちません。

 

一方で「お金稼ぎ」だけを目的にしていても、そのうち生活水準が上がりきってしまい、安定は手に入っても、毎日同じことの繰り返しで刺激がなくなってきます。

 

私タクミも、衣食住が7年以上満たされる状態になって、ようやく「教養」の重要性に気がつき、「お金を稼ぐ」以外の分野の本(エネルギー、哲学、化学、体験記など)を読むようになりました。

 

教養を身につけることに一生懸命になると、お金を稼ぐことに無頓着になります。

 

自分にとって最適な「教養とお金」のバランスを見つけることが重要だと、本書を読んで学びました。

 

まとめ。教養を身につけるために生活の安定を手に入れよう

教養を身につけるには「時間」と「お金」が必要です。

 

教養は読書だけで手に入るわけではなく、お金を支払ってコンサートや美術館、オペラなどを見ることでも手に入ります。お金も教養を身につける上では必要なのです。

 

しかし、20代から仕事を始めると、残念ながら衣食住を満たして、パートナーを見つけること、子育てをすることだけに意識が向いてしまいますので、教養はないがしろにされてしまいます。

 

教養がなくても死ぬまで安定して生活ができます。だからこそ「教養はお金稼ぎのために捨てられた」ものになってしまったのです。

 

大学選びでも、多くの人は「大学名」で選びますがこれは正しいです。大企業は学歴で明確にターゲットを絞っていることは真実だからです。

 

一方で「学部」まで見られていることも事実です。文系なら「政治経済」「法学部」、理系なら「医学部」「工学部」「電子・情報」など実学が強く、「文学部」「バイオ」などは弱くなります。

 

好きなことを学ぶと言いつつ、結局はお金を稼ぎやすい道に行くのは人間なら当然のことです。

 

最初から好きなことだけをできる人はごくごく少数です。

 

私タクミも音楽で食べていきたいという、大学生なら誰でも一度は思うことを考えていましたが、30歳を超えて思うのは「お金を安定して稼げるようになってよかった」ということです。

 

今の自分なら、教養を身につけようと、月に1〜3万円分の本を購入することも可能ですし、オペラ、ピアニストの食事付き演奏会など、1回で2〜4万円かかるようなイベントも参加できるようになりました。

 

教養を身につけるのは10代〜20代前半までの学生時代に限りません。お金を自由に使えるようになった30代からでも十分に間に合います。

 

今までなんとなく感じていた「お金稼ぎのために教養は捨てられた」という話を、本書では丁寧に解説されていますので、ぜひ一読してみてはいかがでしょうか。